
先日のFacebookで、6年前の投稿が上がってきました。
実家の朝ごはんについての記事。
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6年前の今の時期は、母の看病のために、大阪と富山を行ったり来たりしていた頃でした。その時に書いた記事。
6年前のGW明けに、母の膵臓癌は見つかりました。「腰が痛い、もう歳だね〜」といつも言っていた母。家族も「60歳も過ぎれば腰の一つも痛くなるわ」くらいでしたが、たまたま行った市民検診で、血糖値がびっくりするほど高かった結果を受け、即大きな病院に紹介され、検査の結果、膵臓癌の末期と診断されました。
医者にも「こんな大きな腫瘍見たことがない」と言われるほど・・・。手術も放射線療法もできない。するとしたら抗がん剤治療。
セカンドオピニオンとして受診した医師にも同じように言われ、余命は2〜3ヶ月だろうと。
富山の看護学校を卒業して大阪にきて、そのまま大阪で就職・結婚し、ずっと母とは離れて暮らしていたこともあり、母の残りの時間、できるだけ一緒に過ごしたいと思いました。
職場にお願いし介護休暇をいただき、そして主人や子どもたち義父母やご近所さん、たくさんの方に支えてもらいながら大阪と富山を行ったり来たり。最期の1ヶ月半は母の病室に寝泊まりし、ずっと母のそばにいました。
一緒に過ごした1ヶ月半、母は話すことも食べることもできなくなり、疼痛コントロールするしかないような状態でした。そんな母の側にいて感じること、考えること、無言の母から教えてもらうことがたくさんありました。
最期まで強い母、しなやかで強いヒトだったと今でも思います。
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物静かでマイペースだった母。祖父母と父母、私と弟の6人家族。5歳の時に祖父が亡くなってからは5人家族。父母がずっと共働きだったこともあり、私と弟は根っからのばあちゃん子。母と特別仲がいいとか大好きとか思った記憶は実はあまりなくて。
どちらかといえばクールな関係(笑)
かといって、親子関係が悪かったわけではなく、プレッシャーをかけられることもなく、いい距離感でいてくれてかつ愛情を注いでくれる存在。だからきっと、今のこんな私がいるわけで。
不思議な感じなのですが、当然のようにいてくれて必要な存在、いい意味で空気のような存在だったように思います。
そんな母の大きさを感じたのは、やはり親元を離れてから。母が病気になって側にいた最期の1ヶ月半、そしてこの世にいなくなってからは、より母の存在の大きさを感じずにはいられませんでした。
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母はどんなことを思って私たちを育ててくれたんだろう?今なら母ともっといろんな話もできたのになあ。もっと親孝行すればよかった、もっと感謝を伝えればよかった。
なんだか6年前の投稿を見てちょっとしみじみしてしまいました。
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じょさんし向上委員会 season1
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